恩知らず、わがまま それが人間の性なのでしょう
令和4年3月16日午後11時36分ごろ、宮城県や福島県で震度6強を観測する地震がありました。神奈川県平塚市にある蓮昭寺も揺れ停電となりました。
各部屋の天井には停電時に点灯する非常灯が設置してありまして停電と同時に点灯しました。通常の灯に比するほどではないものの、直下では新聞が読めるくらい明るいのです。
新築時に「非常灯つけるぞ」と提案した私は「パパの言う通りにして良かっただろ」と偉そうに言うと「良かった、よかった」と尊敬の眼差し(か?)の子供たち。
おかげで不自由なく行動できたので、テレビに蓄電池を繋ぎ情報収集を図るも、アンテナ故障(後で判明したことですが、最近のテレビの電波はブースターで増幅された電波がTVへ入力されるので、ブースターの電源が落ちれば使えなくなるのです)か「電波を受信できません」の表示。
子どもたちはスマホを片手に「福島のほうみたい、平塚は震度4だって」と、頼るデバイスの違いにゼネレーションギャップを感じました。
そして、本堂と境内、墓地の確認にいそいそと。 おかげさまで、いつも通りのレイアウト。良かったよかったです。
見回りから帰ってから停電時の諸注意を(また偉そうにです)伝えました。
・トイレは停電なので流れません。停電時の対応策があるけど、ちょっとめんどうなので、使わないでね。使う時はお寺のトイレを使うように。
・冷蔵庫は絶対に開けない。庫内の温度が上がると困るからね。
「それじゃあ、起きていてもしょうがないから寝よう。部屋に戻って」と言うと思いがけないことを子供たちが言ったのです。
「ねえ、この灯り消せないの? 眩しくて寝れない」
この時、私の頭に浮かんだ言葉
「恩知らず」「わがまま」
停電で真っ暗になるところが非常灯のおかげで不自由しない環境になったというのに・・・・
まあ、考えれば一難が去り安心すれば次の快適な環境を求めることは当たり前です。それが人類の文化を向上させてきた源。性といってもいいかもしれません。
現在マスク生活が当たり前になってますが、一時はマスク不足から不織布マスクを洗って再利用したり、布マスクを自作したり、超貴重品となったあの時のマスク。今でも洗っている人はいるのかしらと。
「そうだね、非常灯は電気が回復しないと消えないから我慢してね」と床にはいりました。
翌朝、パソコン、冷蔵庫の時計、加湿器などリセットしないといけないものはありましたが、いつも通りの朝を迎えました。
これを機に停電時のトイレの操作、防災グッズの点検、やらねばと思った次第です。
最後に 非常灯 とてもお薦めです。ご検討を!